戦前の新聞検閲で「掲載禁止」となった写真を中国メディアが公開しています
(このサイトには、死体が転がっていたり残虐な写真も含まれていますので、苦手な方はご覧にならないように願います)
ウィキによりますと「戦前の日本では新聞紙法によって新聞は検閲の対象となっており、軍や政府は記事差止命令や写真の不掲載といった措置を取ることができた」そうです。
腾讯文化に掲載されている記事の引用です。
【社会历史】1937年至1945年期间,日本每日新闻社随军记者拍摄了大量日军侵华的照片。为了控制舆论,日军加强了新闻审查制度,由陆军省、海军省和情报局以极其严苛和机械的标准新闻照片进行审查
1937年から1945年の間、毎日新聞の従軍記者が日本軍の中国侵略時の写真を大量に撮っていましたが、日本軍は新聞検閲の度合いを深めて、新聞に掲載予定の写真を検閲した。
以下の写真は、検閲の結果「掲載禁止」となったものです。
竹下部隊の手に落ち捕虜となった支那正規兵
我が爆弾によって破壊された南京のロックフェラー研究院
我が空爆によっては解された南京市街
我が空爆における南京広東医院
雨の前線風景、支那の水牛(君)も日本軍の弾薬輸送
黄河沿岸で敵陣地を偵察する
(中国百姓の服を着た日本軍)
以上、記事の中の写真の一部を紹介しました。
記事の中には死体が多数転がっていたり、残虐な写真もありますのでこのサイトをご覧になる方は、了解の上閲覧願います。(全部で13枚の写真です)
又、これらの写真が毎日新聞社の従軍記者が本当に撮影したものか?あるいは写真自体が本物か?は私には判断できません。
私の個人的な希望は、毎日新聞社がまだこれらの写真を保管されているのであれば、一般公開して、戦争の悲惨・残酷な事実と戦争下に於ける「新聞検閲」の実態を我々に開示して欲しいものだと思います。
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